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昭和43年06月01日 月次祭



  (途中から)
 その初めのお月次祭を頂きました。今晩皆さんに何を聞いて頂こうかと思うて神様にお願いをさせて頂いたんですけれども、ただそのおかげについて、お道の信心でいうそのおかげについてのお話。大変なお話限がないしそのおかげという言葉が色々な意味に使われますので大変広い範囲ですね。お参りをさせておかげ頂いて有り難うございました。そりゃおかげ頂きました。これおかげなんですね。
 お願いをしてその願いが叶うたという。それおかげなんです願い通りにお願いをしたけれどおかげを受けなかった。それでもやはりおかげもうおかげの範囲があまりにも、お道でいうおかげの信心が広いわけです。今日も久留米から親子でお参りになった方が、先生今年もあの、6月の自動車ばお祓いをしてもらう月になりましたが、どうでん今年もどうでんこうでんいっちょお願いいたします。というて言われるのです。
 御信心をされる方から、そのお導きをしてお参りしたわけでもなかったけれども、自分ん方ん自動車もお願いしますというて、あの祓えつものにね、自動車番号を書いてお願い。5台お願いがあった。今年は先生もうやっぱお祓いばして頂いておったけんでしょう、もう全然もう事故にもあいませんでした。もう小さい事故にもあいませんでした。5台が5台とも。ですからもう私は今度その自分の知った人達にもですね。
 少し宣伝してからどうでんそのここの確かに6月でしたから、今年もどうでも又あれをいっちょして下さいというて言われる。ほんとにおかげですね、私が丁度6月の30日の大祓式の日に、とにかく沢山でしたですね、何百台まぁ千台近くでございましたです。祓えつものが来ておるのにあわせますと。確かにですねやはり去年の夏にお祓いを受けました車はおかげで事故にあいません。ね、
 これはまぁ大変ないわば奇跡だと思いますですね。4台持っとるなら1台は事故にあうというのが、これはぁ普通のこの統計上に現れた数字なんだそうです。何百台の車を。ここのご信者さんの中にも、1、2台は衝突されましたり、本当にようそれでよう命が助かったのといったような人も、ような事故にあった人がありましたけれども、これとても乗っておる者は無傷自動車は、それましたそれでもやはり向こうが追突。
 この向こうが追突したり衝突して来たりしたのでありますから、それは全部向こうの方が弁償してくれると言った様な意味合いのものがあった。本当にこれは(ほてつ?)の神様の御神徳によるものであると、私は思うのでございますけれども、やはりそれも、やはり大変なおかげである。金光様のご信心のおかげというのだから、この気やすめではないという事が分かりますね。
 かというてそんなら事故にあって、よしそれが事故にあって亡くなってもやはりおかげ。ね、そこにそのおかげの範囲の広さというか、おかげのいうなら難しさが、あるわけなんです。み教えの中にも日傭取やら家に病人がおっては早々にお参りも出来ない。だから健康な時にしっかり信心の稽古をしておけと、言う様にみやすう教えておられます。それでおかげは受けられるのじゃと。
 これは私共の何十年のことの信心を思うてみて、やはりそういう信心であったと思います。昔はお月次祭を母達はおんぴとよんでおりました。今日はおんぴでお参りが出来じゃったけんで。善導寺では昼にお祭りが奉仕されます。ね、ですから今日はおんぴじゃったけれども、お参りが出来じゃったから、今夜お参りしようというて、子供の私達を連れのうてお参りをしておった。
 たまには、あら今日はおんぴじゃたたい、とうとう忘れてしもうとったと。というて明くる日参るようなこともあったに違いはございません。それでもやはりおかげは受けて来たんです。教祖もやっぱそこん、その辺のところでしょう。ね、日傭取が家に用事があったり、病人があったりしたんでは、それを放って参って来るわけにはいかん。仕事をおいて参って来るわけにはいかん。
 だから暇な時にです、あぁ今日はもう仕事にも出られん。今日はお湿りだ今日はいっちょ朝からゆっくりお参りでもさせて頂いて、今日こそゆっくりお広前でもう何日分の御理解でも頂いて帰ろうぞという風にして信心をさせて頂いてもおかげ。皆さんの中にも、お月次祭だけはというて、お月次祭だけのいわばお礼お参りの方もある。というとただ今( ? )でございますともう3時、4時頃から皆さんがお参りして見える。
 もう5時の御祈念の時にはもうここに一杯集まられる位に、朝の御祈念に毎日詰めかけてお参りになる。これも大変なおかげである。けれどはもう是はそのおかげを頂くための信心ということも勿論ですけれども、もう殆どの方が信心の稽古に通うておるという感じである。又はそれを自分の信心の修行とさせて頂いて、愈々身しのぎの出来るというか、身に徳を受けて行きよるそのことが自分で自分の心の中に感じられる。
 そこに信心の喜びを得て、お参りをして来られる方達もある。それもやはりおかげ。先ほど、「ひろこ」先生がここでお話をいたしております。丁度こちらにおかげを頂くようになりまして一年になります。というてその一年間を振り返ってみて、ね、合楽の信心の有り難いところ。いや合楽じゃなからなければ頂けないところ。それを一年を振り返る。懐古してみて、何を学んだか、何を得たか。
 これだけは合楽じゃなからなければ頂けない事を頂いたんだと、言う様な事を実例を持って話しておりました。私共の知っておる限りの教会ではというて、他所の教会で、の手続きでご本部に修行に行っております。まだ高校生時代にしっかり熊本からここへ通うて来ました。とにかく信心が好きである。もう中学校頃へから、その自分の手続き教会の朝参りを裸足参りをするという。
 この子は異常じゃなかろうかと。母親が心配するぐらいであった。いわゆる信心が好きであった。非常にお夢なんかを的確に頂くようになった。ん。高校を卒業して暫く就職のおかげを頂いておりましたけれども、どうでもやはりお道の教師として御用に立ちたい。というのでご自分のおばに当たられる方が、山口県で教会を開いておられますから、そちらの手続きを持ってご本部へ修行へ行った。
 許しを得てからここへまぁ修行に来たわけでございます。ですからもういうならあちらこちらの教会というものを知っておるわけなんです。合楽で学ばせて頂いたもの得たもの。それはね合楽にはね神様が生き生きとして、まぁひろこ先生の言葉を借りると、神様が大手を振ってここを歩いておられるという感じ。他所の教会ではその神様を感ずる事が出来ない。それがどう言う所に生きた神様を身近に感ずる事が出来るか。
 又は神様が教会でありながら神様を感じることが出来ないのはどこに違いがあるか。そしてここで言う所の神乍ら。ね、いわゆる人情を使わない。ね、神情一つで神様を表しておられる先生のご信心によるものだということに結論をえた。ですからもう先生が教導して下さると言う事と同時に、もうそのまま神様のご教導を頂いておるという実感が日々感じられるというのである。ね、
 自分が頭でひねってそしてこうじゃなかろうか、あぁじゃなかろうかというて探りをいれるようなものではなくて、もう神様が氏子一人一人の上に、ね、神様の心をある場合には吐露して下さり。ある場合にはそれをはっきりと、右だ左だと命じして下さる。それがそのまま生きた神様をそこに感ずる。ね、なら是が言うなら合楽の信心の一番有り難い。皆さんは他所の教会をご存知ないから解られんでしょうけれども、私はそういう風に感じたというような話をしております。
 ですからある場合には、ね、人情でお取次ぎをさせてもらうというか、非常にこれは受けが良いです。ね、私の生き方はもう義理でもなからなければ人情でもない。ですから場合には、ね、いわば冷たい冷淡なという風にみられるむきもある。又は本当に大坪は義理知らずだと言う様な事にまで成って来る。神様は義理や人情じゃ動きなさらん。義理人情の世界ではもう浪花節ぐらいなもんじゃ。
 いわゆる御涙頂戴のものであるならば、それもなかなかです笑わせたり泣かせたり。お話一つでもそれは面白いよいお話があるけれども、ここのは面白い事もなからなければ、いわゆる御涙頂戴でもない。いうならば神様の直前とでもいおうか、いうなら神情一つ人が笑うても。又は悪口を言われてもそれを無頓着になる稽古を本気でさせて頂いておるからここで愈々信心の稽古をさせて頂く人達の上には。
 それを私は皆さんにそうあれと求め又は聞いて頂くわけでございます。そして最近頂きますみ教えから、一口の言葉を持って言うと、なるほど私の生き方は間違いではなかったというところに、一つの確信を持っております。本当の生き方。いわば真実の生き方。そこには真実のおかげが展開して来る。それは私共が本気で馬鹿と阿呆の生き方にならせて頂くことだという事に結論をおいた。
 ただおかげを頂くために、まぁその場合馬鹿と阿呆になっときゃその時にまぁ苦しい事がないからと言った様な、方便的なものではなくてです。愈々その馬鹿と阿呆にならせて頂くと言う事が真実の生き方だと。本当の生き方だと。教祖の神様というお方はそういう生き方をなさった方だと。人は笑うた。ね、けれどもそう言う事はいわば無頓着である、神様の仰せには背かれんとして、その馬鹿と阿呆の道を歩かれた。
 神様がこれから裸足の行じゃと仰る。夏ならまだ良いけれども冬にでもなって参ります時に草履も履いておいでられませんから、奥様が再三注意をなさる。あなたが神様、神様というて村内の者はあなたを信心気違いの様にいうております。あんまり神様、神様と言うものだから、草履一つ作る暇がないじゃろうというて笑うております。どうか行き戻りの田畑におい出られる時には、草履ぐらいは履いて下さいといわれた。
 皆さんにそういうご心配をかけておる、お前もまたそれでは気兼ねであろう。いうなら自分が無精で草履を作っていないわけでもないのであるから、そんなら草履はここへ作っておるという印に畑に出られる時に、鍬を担いでおい出られる時には鍬の先に草履を下げておい出られた。牛を引いておい出られる時には牛の背中に草履を一足つないでおられた。もうそれはその草履だけのことじゃなかった。
 もう一事が万事の生活のその所謂生き方が違うておった。所謂人が笑うても良い。神様から笑われちゃならんという生き方であった。そこから天地に貫通するですね。天地の神様が、金光大神同根なりと仰るほどの御神徳の道が開かれた。その御神徳の道を歩かせて頂く私達。してみるとそこに私共もやはり教祖の神様のね、あられ方というものが自分の信条になってこなければならない。
 これは私の例で申しますと、何十年間という大坪の家の中の金光様の御信心は、それは何処までも、ね、金光大神のあられ方ではなくて、大坪の家のあり方の中に、金光大神が横でちょいとついてござるという感じ。愈々いかん時にちょいとお手伝いして下さいという程度の神様。重いからちょっと持って下さいという程度の神様。やはりそれでもおかげは受けて来た。ね、そういうおかげを受けて来た。
 だから信心は止められなかった、何十年間。けれども終戦、そして引き揚げ。そこに私のいわば、開眼があったわけなのである。いわゆる心の眼が開けて来た。そしてそういう生き方から脱皮して、本当に神様の、その天地の親神様の御神徳の満ち溢れておられる道を歩かせて頂こうという事に決心が付いた。なかなか我情があり我欲があって、なかなか歩けなかったけれども、まぁそれこそ人から笑われても。
 それは例えていうならば肉親の両親。いわば親がまたは家内がいうならまぁ泣き縋っても私はもうがんとして動かなかった。それは神様が教えて下さる。神様のいうて下さる道をまぁひたすらに歩かせて頂いた。ですからどうしてもここの信心はですたいそこからこちらの信心を皆さんに聞いて貰う事になるのでございます。それまでの信心。いうならば時々参ってくりゃええよか。忙しい時は参って来られんのだから。
 その代わり暇の時にはいっちょしっかりお参りして、信心させてもろうて。いうならここに本気で信心に通うくい、来いという生き方にどうしてもなる。というてんなら沢山のご信者がございます。先日高橋さんが教務所の方へ調べて出さなければなりません。信者いわゆるあの時々新しく参ってくる人達。それからこうずっとしますと二千からの人達があるわけなんです。
 けれども言わば朝の、例えてまぁ日参をなさる方達、月次祭にお参りをなさる方達。または月に何回かという風にお参りをする。まぁ大祭にだけしかお参りがない、いや大祭にも通知がいっとっても知らんというくらいな人達も含めてでございます。ね、そういう人達にです、どうでも一つおかげを頂いて頂きたいという願いが分かろうが分かるまいが、私が難しいことを、いうなら言うわけである。
 そして、私が思うことは、もうこの一番難しいと思うておる信心が、本当いうたら一番みやすいということを皆さんに体験してもらなければならんと。それは、お互いが馬鹿と阿呆になる事だと、こんなにみやすい事はないて。いわゆる我のない生活。ここ3、4日、毎日のように頂いておりますね。「信心は家庭に不和のなきがもと」とこう仰る。これはまぁ色々ございましょう。
 夫婦なかむつまじゅう。親子も仲がええ。まぁいうならこっとりとも言わんというような家庭もある。けれども信心でいうところの、平和ていうかね。その家庭に不和のなきがもとというのは、こりゃもう不和のなきがもとと言う事はね、家庭にねそういう不和のなきがもとと、信心はというておられる事はね、これらを本当のおかげの受けられるもとであり、受けものでありと言う事なんです
 ですからそう簡単な和だけじゃいけんのです。是はもうどの様な素晴らしい信心をしておっても、ここのところの家庭に不和のなきがもとであるというもと。いわゆるおかげの頂けれるもと。本当のおかげの頂けれる受けものである。一人だけが有り難うなったっちゃつまらん。しかもそれは家族を挙げてて、そこんところへおかげを頂かせて頂けれるようになったら、それがもうとにかく信心はまずこれがもとだと。
 そう言う事をまぁ今日の御理解から言うなら、結局お互いが馬鹿と阿呆になる事なんです。その馬鹿と阿呆になる事が一番みやすいのだけれど、そのなるまでが難しいのである。我情我欲我欲がある。やはり馬鹿にはよりも利口もんになろうごとある。俺がお前働いとるけんお前だん食べられよるとぞち。ちっとでんこう恩にきせしようごとある。それを分かりもせんでおる俺の働きなんかお前が無視してしもうとる。
 いや私はあんた働いとるから。私が家を守っとるからと。私のその、働いておるところは一つも分からんでと。というようなところから、和が乱れてくるのですね。ね、ですから、いわゆる馬鹿と阿呆ということは結局我のない生活に入ることである。我のない私にならせて頂くことである。そうばってん我を取るということが難しい。いや我があるということすら知らない人がある。
 いや我を取ったらもう本当に、人間は値打ちのないように思うておる人すらがある。そげなこっちゃこの世は成り立たんとさえ思うておる、信じておる人がある。それこそ、正直者が馬鹿をみるといったようなことを言うではないかと。そのような事でこの世はいかれるか、という風に、それを信じておる人すらもある。ですからそういう頑固な一つのことを信じておるんですから。
 それがなくなっていこうというのですから、やっぱね並大抵な事じゃない。そこで本気で信心の稽古をさせてもらい。本気で、えー問題を問題とせずに、その問題をいよいよ信心で取り組ませて頂こうというような稽古をさせて頂くうちに、我ではおかげは受けられん事が分かり、我を抜かせて頂いて、もう仕方がないけん親先生任せになるより他にないということになる。
 そして親先生任せになった方が確かにあか抜けしたおかげになる。もうそれこそ夢にも思わなかったようなおかげに展開して来る。親先生任せになると。そこで我を張っちゃ馬鹿らしいということになって来る。そこから私は本当の信心が段々育ってくるのじゃないかと思う。そういう生き方が、今日「ひろこ」先生が言うておるようにですね、他所の教会ではないようにある。ね、
 神様を自分任せにする。先生を自分任せにする。今朝も朝の御祈念に、ある教会の、私もよく知ってるんです。楽人さんです。ある難儀な問題で参ってみえた。でお届けをされる。私はもう18年間、17年間楽の御用を頂いておる。ところが初めから私はその喘息持ちでございました。ところが時々その喘息が出ますもんですから、先生がね自分ところの頂いておる先生が言われることに。
 あたなは喘息が出てから、あの神様にご無礼になるから、一時ばかり御用を止めなさいとこう言われた。まぁがっかりして、もうこの御用一つで助かっておるように思うた。その御用一つで信心がつながっておると思うておった。所がそのもう琴の御用を頂いておりますが、その琴の御用を止めろと言われたもんですから情けない。そんな事はないですよっち。そりゃ家きてんなさん家来てから楽の御用を頂きなさい。
 ころっと喘息が治りますよと。まぁいうて貰いたいごたる風な感じだった。それで私は申しました。それはねあんたんところの親先生は、あんたの健康の事を心配しておられるのだ。だからあんたがまず健康のおかげを頂くことじゃ。健康のおかげを頂いて、親先生おかげでもう喘息の方もおかげ頂きましたから、楽の御用頂かせて下さいといや、その時こそ先生が喜んで下さることに違いないのです。
 あんたがね、楽の御用頂きゃ、ね、健康にな(ん?)るてんなんてん、そういう思い方が間違いなんだ。そういうその間違ったところへ、その信念をおいておる。それが間違っとる。あんたんところの親先生の気持ちになってごらん。ね、だからあんたのいわば楽の御用も頂かしたかろうけれども、ごほんごほんいうたんじゃあんたもきつかろう。神様にもご無礼になる。
 まず健康のおかげを受けよというておられるのだから、健康のおかげをまず願いなさい。そんなら先生どうぞ、楽の御用が本当に出来ますように、健康のおかげを頂かせて下さいというて願いなさい。あんたが願いや必ず、今度は先生が条件を出しなさるに違いはなかろうと私は申しました。ね、そんなら、○○さん今までんごたる信心ではいかんばい、ちいいなさるに違いない。
 月次祭の時だけ楽の御用さえ頂いとりゃ。是で18年間はもてて来たけれど、17年間は。それだけに只もう信心しております、それで自分の助かっとるごたる思い方が間違えなんだ。そこで健康のおかげを頂かせて貰うと言う事をまず願って。一日もはよう又もとの楽の御用が頂けますようにお願いをなさい。ね、お願いをすると今度は神様はそれに、先生が必ずあなたがもう17年間も信心をしておられるのであるならば。
 条件を出されるのであろう。今迄の様な事じゃいかんよと言われるに違いないから、そこんところを有り難く頂いて、その事を実意に守らせて頂くなら、あなたの健康はもう私がここにお願いをせんでもあんたおかげ助かりますよち私が。楽の御用を頂いたから助かるのじゃない。お参りをしたからおかげ頂くのじゃない。そういう間におかげも頂いてきたけれども、もうそういうおかげからは、少しね信心が進まにゃいかん。
 まぁ私はそこの親先生の代わりで言うならばですね、○○さん健康のおかげを頂かにゃいかんばい。今までのような信心じゃいかんよと。信心はどこまでも本心の玉を磨くものどこ迄も日々の改まりが第一。さぁ今日からは一つ本気で改まる事の為に信心の稽古に通うておいで、磨く事の為にどうして磨くかを習いにおいでと言う事になったら、貴方の喘息の方はおかげ頂くだろう。おかげ頂いたら又楽の御用も頂けるだろう。
 その喜びが楽の御用になって現れる時に、初めて神様も喜んで下さる。氏子も喜びである。取り次いだ者も喜びと言う事になるんじゃないか。と言うてまぁお話をしたんですけれどね。そういうその間違った所に考え方がね焦点がおいてある。その磨かせて頂くと言う事改まらせて頂くと言う事がです、おかげを頂いて本気でその事に磨かせて貰いよる改まらせて頂きよりますと、何時の間にか自ずと楽我がなくなって来る。
 我を張らんでもいいのである。そこから私はね、自ずと馬鹿と阿呆の生き方というものを分からせることが出来る。その生き方こそが、真実の生き方である。天地に通う生き方である。そしておかげを頂いてそのあかつきにです、なるほどあぁいう生き方があるんだと、信心のない人にも認めてもらい、分かってもらえるおかげになってくるのである。お道の信心は何処までもですから人情では助からん。
 義理では救われないと言う事が分かります。
 そこん所を一つ私は目をつぶっての信心。今までの我今までの人情今までの義理。それはそうでもあろうけれどもそこん所に目をつぶる信心。そこん所から神様にお導きを頂く所の信心。手を引いて貰う所の信心どうでしょうかね、そう言う様に例えばお互いの心の中に我が解け、なくなって行く所の生活をね、営ませて頂く家庭。そういう家庭が真実、家庭に、信心は家庭に不和のなきがもとと仰るのはその元というのはです。
 おかげを頂くもと。これはもう神様が本気で下さろうとしておるおかげのもと。ここんところをですね、まぁあのそのわけを話すと、なるほどそうだということが分かるんですよね。自分だけが有り難い。自分だけがおかげ頂いて。家内が信心がない。主人が信心がない。そしてそこにね、限りなくおかげを受けてもね、そういうおかげでは駄目なの。どうしても、そのおかげに我が付くから。
 いうならそりゃ黴菌が付くようなもの。我の付いた財産。我の付いたその、まぁ物なら物。家なら家です。それで幸せになろうとは思われない。これはもう人間が経ってみなければ分からんところに難しさがあるわけですね。今この金はね、何処に持っていったっちゃ千円なら千円な通用する。ね、自分が欲しいものが買われる。けれどもこれがいつの間にかです、いわゆる黴菌の付いた物を使うようなものですから、これは本当な事になってこない。神様のご信用がとものうてない。
 信心はそこを分かってそこを信ずる事。そしていわば一家中が信心、ね、一家中の者がそこを受けて行く。家に徳が受けてくる。家に徳が備わって来る。そこにどういうことになって来るかというと、もうこれを言葉でいうならば、拝み合いの家庭生活というものが出来て来る。ご飯を食べよる時でも、寝る時でも。どげん考えたっちゃお母さんもう、本当に、もう本当におかげの中にあるとやね。
 おかげを受けとるばいもうどげん考えたっちゃ、とてもとても何処、指一本で押すだけだっちゃ、もう不平どん不足どん言う所はなかばいというて、夫婦が寝物語りにも話せる食堂で家族中の者が何か一つの問題を、まぁテーマにしながら話していきよっても、結局結論は本当に信心頂いておるちゅう事は有り難い事ね、と言う事になる。そういう家庭の雰囲気。そういうどこ迄も言わば神様を高め、又現しておる家庭。
 そういう家庭を信心が、いわゆる家庭に不和のなきがもとと仰るもとはそれなんです。2、3日前でしたか。善導寺の原さんご承知のようにそれこそ一家を上げての、まぁ熱心な信心をなさいます。最近娘を貰いましたその方が全部素直について来る。有り難いですね。親子4人の者がいわばその月次祭、月次祭といや親子4人連れが家を閉めて、いわばお参りをして来るわけです。朝の御祈念にはもう、必ず夫婦で参って来る。
 もう18年間続いておる。夜の御祈念にはお母さんだけが参って来る。お休みの時には長男の昌一郎さんがまぁお参りをして来られる。もういうなら一家を上げて。ね、もういういよいよ信心は家庭に不和のなきがもとというところまで、をまぁ頂きかかっておる。ところが先日から、頭が痛い。勤めておるところを休んでおりますから、というて夜の御祈念に参って来られたお母さんがそのお届けをしておられる。
 それに(またと?)私、お取り次ぎさせて頂いたら、頂きますことが、まぁもっとその実際よりも男前のこう、男らしい昌一郎さんが、もう色は大体白いとですけれどもね、色の白のたっぷりして、男らしいその昌一郎さん。ところがおかしな事が、頭ん毛がぽっと、ちょいいうなら、丁度久富先生か、堀尾さんあたりのごたる、髪の毛が薄うなっとるところを頂くですもん。その御心眼にね。それで私は思うたんです。
 これはね髪の毛と言う事は神。髪は神。信心につながるんだと思うた。これほどのおかげを受けておる。やっとおかげを頂いておる、それに対してです、信心の方が少し薄うなっとる。なら薄うなっとるというてお参りしよるわけでもないけれどもです、ね、まぁいうなら合楽でちょっとした手本のように言われておりますけれどもです。神様はそれでも頂いておるおかげとです、ね、信心とがバランスがとれてない。
 この髪が一つまだ黒黒とならにゃいけん。そこに神様の求めがある。そこに神様のお気付けがある。このおかげを頂かしたいばっかりなんです「信心は家庭に不和のなきがもとなり」というところのです。それでは親子、夫婦集まってですたい、もうどんなに考えたっちゃおかげばい。もう何処をおしゃ不平不足が出るのと。もう不平不足どんが出るところは、もうそれこそ(寸分?)の中にもないと言う事をですね。
 まぁ話合えるような雰囲気が、家庭の中に段々出来てこなければならん。いうならもっともっと生き生きと信心の喜びというものを、頂かなければならんというておられる。髪がもう少し生き生きとして生えてこにゃいけんと言う事。その時こそが家庭に不和のなきが元なのだから、その元を頂いてくれよという神様の願いなのだ。これをお互い思うてみますと私共でもそうです、思えば思うほどおかげを頂きすぎておる。
 そこにバランスが崩れるところに様々な難儀がある。その難儀なことを通して、信心を一段と進めさせて頂くところに、バランスの取れた家庭に不和のなきがもとなり。まぁいうならばですね、私の20年前の大坪の家の、家庭家族のことを一つ思うてみると、ははぁいうような雰囲気こそが、おかげを受けられるもとであるな。家庭に不和のないということはあぁいうことであるな、という風に思うのです。
 ね、何時もお話をするから、皆さんも聞きなれておられるように、私がお話いたしますけれども、もうそれこそ信心しよってどうしてあげな貧乏せんならんだろうかといったような感じ。妹婿はもう長年寝たっきりであった。胸の病気でしたから。もうそれこそ鍋の中どんあくるなら、ほんにこげなもん食べござるじゃろうかというようなものを頂いておるような、日々の中にあってです。
 病人は、が例えば2階に何時も休んでおります中にあってです、もう本当にそれはね、いわば拝むような生活であったと私は思うんです。何時もこうやって拝みよったわけじゃないけれども、私がご本部参拝するといや、ね、もう毎月のご本部参拝がです、もうご本部参拝が始まる、まぁその、もう御本部参拝のために、その一家中の者がかけておる。もう売るもんがなくなったら。
 妹なんかはもう主人のその形見の物まで売って旅費を作ってくれると言う様なまぁ時代であった。それにその私が働きがないとかなんとかと言う様な雰囲気がなくてです、少し出来てきよるとしよるともう御祈念。もうほんにあの大坪さん方ばっかりは、どうして朝から晩までもうあげん年中金光様拝んどらなんじゃろうかというぐらいに、柏手が聞こえたというのです。
 そういう例えていうならばです、あるもんがありゃ家の中はこっとりといわんけれども、あるものがないとついつい夫婦喧嘩が起こった、親子喧嘩が起こったりするというのが普通であるのにも関わらず、そう言う事に成って来たらなって来た程に、有難く成って来たと言う事です。そう言う事になって来て、これは来たほどにです一家中の者が愈々勢を揃えて信心を頂きだしたことです。
 ははぁここんところに、神様が目を付けなさった。ここんところに大坪一家だけではない、皆沢山の者が助かって行くようなものまでもが、頂けたんだということを私は思うのです。信心家庭に不和のなきがもと、というのはこれなんだ。そういう意味合いにおいてです、一人利口もんがおったらこげな馬鹿らしい話はなかという。そこんところをです、いうならば、私共はいわば馬鹿と阿呆にならせて頂いて。
 親方一人のためにですよ例えば、が。ね、その弟家庭の方の生活は自分が勤めに出てからみておる。しかもその旅費は自分のその何がしかの、品物を度々売ってからでも旅費を作る。そういう生き方なんです。これはもう利口なもんじゃ出来る話じゃないです。そういう生き方の中にです、いわば真実の生き方があったんだとこう思うのです。本当の生き方をさせて頂いたんだとこの時に。
 そこに本当な事が開けて来たのだ。そしておかげを頂いて来た。ところがこの頃はまぁいうならば原さんじゃないけれども、おかげの方が勝っておる。そこで私共は内容の信心を愈々頂かせて貰わなければならないんです。信心でいうおかげというのは私が初めから申しましたように、今日は月次祭であるという事、それも忘れるくらいの信心からそれでも結構おかげを頂いて来た何十年間ではあったけれども。
 けれどもそれは何処までも例えば人情が勝った信心であった。忙しけりゃお参りが出来ない。もう神様がご承知じゃけという信心であった。けれどもね人情から神情に替えられた。もう何をおいても一にも神様二にも神様、勿論三にも神様という生き方であった。その頃は人も笑うた。恥ずかしい思いもした。ね、けれども人が例え笑うてもそしっても神様から笑われちゃならんという信心に段々なってきた。
 もう義理もなからなければだから人情もなかった。ですからある場合には大坪は人非人だとまでいわれた。確かに人非人の稽古をしよった。人非人ということは人であって、人でないという意味なんです。それを悪い意味合いではとらずに、そうですとにかく人非人だ。そのなる人、非人になる稽古なんだ。人であって人じゃないその人間であって、人間ではない。神様へ向って進んでいっておる時代であった。
 そこのとこをです、十二分の徳を受けようと思えば、ままよという心を出せよと。ままよという心を出せば、そこから御神徳が受けられると言う事は、そこから御神徳の輝く道を歩かせて頂く事が出来るのだ。皆さんの中にもただ今申しますようにそれこそ今日月次祭であった事を忘れておったぐらいな事も、まぁあって良いのですよ。けれどもここではそれからこちらの事を私は皆さんに聞いてもらっておる。
 ですから、いうならばある場合には難しい。けれども本当にそのことから、私共のいうなら、我情が取れ、我欲が取れていうなら馬鹿と阿呆にならせて頂いたら、こんなに楽なことはないということ。こんなに不安のない生活はない。限りなくお恵みに浴していくことが出来る。そういうおかげをですね、頂いてもらいたいというわけ。一年に一遍しかも自動車をここに持って来たわけでもない。
 祓えつものに自動車番号書いてから頼んどったら、それでおかげで一年間5台の自動車が無事故でおかげ頂いた。今年ももうぼちぼち始まる頃じゃから、ありゃ先生何時でしたかというて、今日(しつに?)見えた方のようにです。そういうおかげも頂けれ、そういうおかげも現せれるおかげを受けておるのが、「ひろこ」さんが言うところの、他所の教会といわば違ったごひれいですか。違った生き方の中から、そういうおかげが現れておるんだということをですね、お互い一つ分からせてもろうて。
 かというてです、それとは反対な事になる。例えばなら久保山先生の様なあぁいう悲惨な事故にあわれた。しかもあれだけの打ち込んだご信心が出来られて、そうであった。けれどもその後のおかげ、その後の遺族の者の信心。これを見て下さいこれが金光教の信心ですよと。
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